【厚木市】厚木神社には石碑や句碑が多くあり、関東大震災の傷跡や、戦争の忠魂碑もあり、歴史を感じるものがあります。

相模川沿いに位置し、地元住民に大切にされている厚木神社の中には、石碑や句碑が多くありました。散策しながら、少し歴史を遡ってみることが出来そうです。

厚木神社

厚木神社の鳥居をくぐると、右手に見えてくるのは・・・。

関東大震災傷跡

大正12年(1923)、関東大震災によって厚木町は大きな被害を受けたときに、崩壊した鳥居の柱に、震災の恐ろしさを後世に伝えるために碑としています。

厚木神社-あつぎお天王様

平安時代から疫病除けの神様として祀られていたのが、牛頭天王(ごずてんのう)です。鎌倉時代には、弓の達人として有名な那須与一も訪れており、眼病平癒の祈願をしたという伝説もあります。

厚木神社-句

社殿に向かって左手にあるのは、水月庵来之の句碑。刻まれている句は「散るあきて 木の葉しづまる 旭哉」です。万延元年(1860年)8月に建立しました。建立者は、厚木生まれの書家 斎藤鐘助が造立したものであります。

厚木神社-石碑

厚木神社の裏手に大東亜戦争支那事変の戦没者忠魂碑があります。大正9年に建立されたものです。とても大きくて立派です。

厚木神社

かつての相模川水運の中心地であった、この場所には、享保13年(1728)頃、今の栃木県にあたる下野国の烏山藩主大久保常春が、飛び地として与えられたこの厚木付近の統治のために通称「厚木陣屋」を置いた場所に当たります。

厚木神社-ああ9月1日

烏山藩厚木役所跡の隣には、「あゝ九月一日」の碑があります。これは、関東大震災の記念碑でもあり、一帯に甚大な被害があったことが想像できます。「あゝ九月一日」碑の裏面には下記のような碑文が刻まれています。

大正十二年九月一日午前十一時五十八分激震あり 火各処に起こり余震間断なし 千八戸のうち全潰五百四十九戸 半潰二百八戸 焼失二百五十一戸に上がり 殃死二十八名 負傷六十四名を数ふ 茲に一周年に方り死者の霊を弔ひ碑を建て 其災害を記念す
大正十三年九月 厚木町有志

水神宮

厚木神社の隣にある水神宮。厚木下流 水神宮と刻まれている石碑が横にあり、昭和21(1946)年9月5日、相模川漁業会により建立されたものです。相模川は、昔から人々の生活にとって重要な役割を果たしてきました。川下からは塩・乾魚・油・呉服など、川上からは、木材・炭・たばこなどが運ばれ、厚木村は宿場町、産業、生産物の交易の場として発達していました。

稲荷神社

厚木神社拝殿左手には、境内社の厚木稲荷神社があります。安永六年(1777)に、京都の伏見稲荷大社の分社を勧請したものです。

厚木神社2

相模川沿いにある、厚木宿は神奈川の中心部を流れる相模川を渡るための河川交通の要所として、栄えてきました。ここには、役場もあり、商業の発展の場でもあり、人や物が集まり発展したという宿場町でした。後世に伝えていく手段としての石碑は重要であると感じました。

【厚木市】厚木神社で、七五三詣をお考えの方、ご祈祷日時が出ておりました。お子様の健やかな成長をお祈りします。

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2021/10/05 08:26 2021/10/05 08:26
2525かおさん

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